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『第53回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会』東京都で開催!

東京都代々木で「第53回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会」が栄養教諭・学校栄養職員を中心に、全国から学校給食関係者が参加し、2日間にわたり、『栄養教諭を中核とした学校における食育の推進』~全国に広げよう食育の輪~を主題として、研究討議が以下の内容で行われました。

【主題】
『栄養教諭を中核とした学校における食育の推進』
~全国に広げよう食育の輪~

【趣旨】
学校における食育の推進に向けて、児童・生徒に対する食に関する指導の在り方や学校給食の充実方策について研究協議し、栄養教諭・学校栄養職員の資質の向上を図る。

【開催日】
平成24年8月7日(火)・8月8日(水)

【開催場所】
独立行政法人国立青少年教育振興機構
国立オリンピック記念少年総合センター

【主催】
文部科学省、東京都教育委員会、公益社団法人全国学校栄養士協議会、公益財団法人東京都学校給食会

【協賛】
全国学校給食会連合会

全大会
実践発表

【開催県発表】
主題「東京における食育の進め方 ~小中学生9年間を通した食育の取組~」
●発表者
東京都武蔵村山市教育委員会 教育長 持田 浩志
東京都武蔵村山市立第七小学校 校長 青木 秀雄
東京都武蔵村山市立第四中学校 栄養教諭 塩塚 宏治

【東日本大震災県発表(岩手県・宮城県・福島県)】
●コーディネーター
文部科学省スポーツ・青少年局 学校健康教育課学校給食調査官 江口 陽子
●発表者
岩手県山田町立大浦小学校 栄養教諭 刈屋 保子
宮城県気仙沼市立新月中学校 栄養教諭 佐久間 鮎美
福島県南相馬市教育委員会事務局学校教育課 主任栄養士 鈴木 美智代
 

【発表者の皆様】(写真提供:教育家庭新聞)

【各発表者発言要旨】
岩手県山田町立大浦小学校 刈屋 保子栄養教諭

「人と人とのつながりが成し遂げる復興」~ひとりの力を、大きな力に~

今回の震災を通し、栄養教諭としての役割を果たし、みんなと共にこの大災害を乗り越えることが出来たのは人と人とのつながりがあったからこそである。
その大きな力が、様々な困難や障害を解決する原動力となったと感じた。

宮城県気仙沼市立新月中学校 佐久間 鮎美栄養教諭

「東日本大震災時における栄養教諭・学校栄養職員の果たす役割」

食べることは、おなかを満たす以上に私たちの心を満たしてくれた。震災を経験し「食べることへの感謝の気持ち」を児童生徒一人一人が心と体で感じとることができたのではと思う。私たちはこれからずっと伝えていかなければならない。

福島県南相馬市教育委員会事務局学校教育課 鈴木 美智代主任栄養士

緊急時における「炊き出し給食」~心ひとつに子どもたちのために~

「炊き出し給食」を提供していた間も、栄養教諭・学校栄養職員が給食だよりと献立は必ず発行していた。どんな状況においても、児童生徒に対して栄養教諭・学校栄養職員の役割を踏まえて実行できたことは、今後においても重要な先例となるだろう。
この度の体験から、保護者への不安の払拭のためにも、正確に情報を伝達し、子ども達の笑顔と健康を守れる安全安心な学校給食の提供に努めていかねばならないと痛感している。

分科会
①~⑥各分科会と研究主題

【食に関する指導】

①食に関する指導(小学校、中学校、共同調理場)
研究主題
「学校における食育を推進するための食に関する指導はどのようにしたらよいか」
②個別指導(食物アレルギー、肥満、痩身傾向、スポーツ)
研究主題
「児童・生徒や保護者に対する個別の相談指導はどのようにしたらよいか」
③特別支援教育学校における食に関する指導
研究主題
「障害のある児童・生徒の食に関する指導や個別の相談指導はどのようにしたらよいか」
④学校と家庭・地域の連携推進
研究主題
「学校と家庭・地域との連携を深め、学校における食育を推進するためにはどのようにしたらよいか」

【給食管理】

⑤栄養管理
研究主題
「児童生徒の体格及び活動レベル並びに地域の実情等に配慮した栄養管理を行うためにはどのようにしたらよいか」
⑥衛生管理(単独調理場、共同調理場)
研究主題
「学校給食の衛生管理を徹底するためにはどのようにしたらよいか」

大会参加者のまとめ

今大会は例年と異なり、東日本大震災の体験者による報告がメインテーマであった。その報告内容は、未曾有の災害による困難・障壁を乗り越えられたのは、現場の栄養教諭・栄養職員のなんとか子ども達に栄養を摂らせたい、学校給食を早く再開したいという強い意志と、関係者の団結力が原動力となっており、今後、困難な状況に遭遇しても、人々が固い信念をもって力を合わせれば必ず乗り越えられる、という実体験に裏づけされた力強い発信となっていた。